「現代日本経済論」経済成長とは何か
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「現代日本経済論」レジュメ(第6回講義使用)
12.6.3
教科書第3章「経済成長とは何か」
1. 過去の日本経済の歩み(グラフ参照)
1973年の第一次石油危機を契機に成長率が低下→高度成長期の終わり
しかし、73年、79年の石油危機を省エネ努力などにより乗りきった。
1987年一人当たりGDPが米国を抜く。それ以降、基本的に上回りつづける。
1980年代後半にバブルに基づく経済の過熱があり、その崩壊以降、日本経済は低成長に悩んでいる。

(1)経済復興
基本的に、占領軍を中心に行われ、ある意味で日本を軍事的に弱体化させることが目的であった。財閥解体などいわゆる「経済の民主化」が行われ、後の競争条件を整えた。同時に、「農地改革」が行われ、地主所有地が安価に小作人に払い下げられ、小規模自営農中心の農業体制となった。また、「労働民主化」も行われ、労働者の発言権が強まり、その結果大規模なストライキが頻発した。
その中で、石炭と、鉄鋼を重点的に生産する「傾斜生産方式」が採用された。しかし、結局、朝鮮戦争による特需景気までは本格的な好況は日本に訪れなかった。

・ 「特需景気」(朝鮮戦争ブーム)
朝鮮戦争での米軍の需要を特需と呼ぶ。この特需により、終戦から不景気、インフレに悩んでいた日本経済が成長に向かう契機となった。

(2)高度成長
経済白書(経済企画庁:昭和31年版)において、「もはや戦後ではない、これからの経済成長は近代化によって支えられる。」と、単なる戦前規模への復帰は終了し、今後は技術革新が必要であることが認識された。このフレーズは流行語としても人口に膾炙した。
高度成長期には、国際競争力が十分でないためによる国際収支天井はあったものの、世界的に類を見ない速度で経済が成長した。
1967年には、GNPでイギリス、フランスを追い抜いた。翌68年には、西ドイツを追い抜いた。しかし、一人当たりGNPではまだ及ばなかった。
しかし、1970年代には、円切り上げ、石油危機と高度成長を終わらせる事件が起こった。

・ 「国際収支の天井」
 潜在成長力が大きくても、国際収支に余力がない(=輸出できる製品に国際競争力がなく、輸出が伸びない。そのため、輸入が少し増えると、すぐに貿易赤字等になってしまうこと)ことにより、実際の成長が潜在的成長よりも低く押さえられてしまうことをさす。
 国内で景気が良くなると消費も増え、それに伴って輸入も増える。ところが輸出は国内の景気が良くなったからといって伸びるものではない。すると、輸入が増えて、輸出は増えないとすると外貨準備高が減少する(物を買うために決算のために使われるドルを払いつづける一方で、輸出が多くないのでドルを受け取れないため。)。必需品まで入手できなくなると経済が混乱するので、そういう状況に至る前に景気引き締め策を取ることになる。日本が技術的に国際競争力をつけるまでは、輸出競争力は十分でなかったため、この「天井」が景気の拡大を終わらせてきた。この現象は昭和40年代のいざなぎ景気に至って初めて終わった。
・「いざなぎ景気」
 拡張期間57ヶ月という戦後最長の景気。この景気の過程で、日本が先進国並みの国際競争力を備えるに至った。輸出が伸びるようになったので、国際収支の天井という問題がはじめて解消された。
 むしろ、この景気の後期には、従来と異なり輸出が中心となって国内の景気を引っ張る形となった。これが、今日に至るまで続く貿易黒字問題の発端である。つまり、$1=\360という固定レートが、実際の日本経済の国際競争力と比較して、円安過ぎるという状況に至った。(国際競争力が過去と比較して高くなったので、従来と同じ円レートでは円安過ぎるようになったこと。例えば$1=\360では、円安過ぎ、\308などのレートでなければ、輸出が伸び過ぎること。)
・ 円切り上げ($1=\360から$1=\308へ)
 米国の国際競争力の低下から、国際収支が悪化し、外貨準備高が減少した。そのため、ドルが弱体化し、1971年12月米ドルの主要国通貨に対する切り下げ($1=\360から$1=\308へ:円の側から見ると円切り上げ)が行われた。(なお、この当時は現在の変動相場制と異なり固定相場制であった。変動相場制への移行は1973年のことである。)

 一時期、経済成長に伴って環境破壊などが激しくなった。このため、「くたばれGNP」という言葉が流行したこともあった。(1960年代末から70年代)これについては、71年に環境庁が設置されるなどの積極的な取組みが行われ、我が国の環境基準は世界でもっとも厳しいものの一つとなった。

(3)安定成長期
高度成長期以降の日本は経済的には完全に先進国レベルに達した。輸出競争力が強いために、円高を招いたがそれを克服することによって、平成景気を迎えた。しかし、バブルにより過大に設備投資を行ったり、あるいは、非効率な貸出しなどによる不良債権の問題などがあり我が国経済は長期間低迷した。が、98年から99年はじめにかけて徐々に回復の兆しが見えてきた。

・ 平成景気
 当初は通常の景気の拡大期であったが、低金利により、通貨が銀行預金を嫌って株式、土地に流れ込み、その結果資産価格の高騰を招いた。その結果、予想が予想を呼ぶバブルの発生を招いた。その過程で実力以上の投資、消費が行われた。特に金融機関には不良債権問題を残した。この問題は依然として解決されていない。

2. GDPについて
(1)国内総生産Gross Domestic Products:GDP「国内の生産者が生み出した財サービスの付加価値の総額」
これが大きいことは、国内の経済活動が盛んであることを示す。景気判断において一番重要な指標。経済成長率というものはこのGDPの伸び率のことをさす。ただし、公表や確定する時期が他の指数と比較してかなり遅い。(早くて3ヶ月後に公表。確定するのは数年後)
(付加価値とは、生産過程において付け加えられた新たな価値。100円の小麦粉と50円の人件費をかけて250円のパンを生産・販売した時には付加価値は、250−(100+50)=100円。)

(2)国民純生産Net National Products:NNP「国民総生産から固定資本減耗を除いたもの」
物を生産するための資本は使えば擦り減り、あるいは時が経つに連れて旧式になり、価値が落ちてくる。上記の例で言えば、パンを焼く設備が固定資本であり、それを使うことや、旧式になることによって価値が落ちてきたことを金額で評価したものを固定資本減耗と呼ぶ。
このように、GDPよりもNNPの方が理論的に精密な数値であるが、通常、景気の動向を判断する際には、短期間では固定資本減耗の金額は変わらず、また、景気にも左右されないためGDPが使用される。

(3)三面等価の原則
国内総生産は、国内の経済活動を捉える方法(これを国民所得の測定法という)のうち、国民所得を生産面から見たものである。同様に、国民所得を支出面から見たものが、国内総支出、分配面から見たものが国内総所得である。これらの3つの指標は、同じ国内の経済活動を3つの異なった面から見ているだけであるので、総額は基本的に一致する。これを三面等価の原則と呼ぶ。
有名な原則であるが、特になにに役に立つわけでもないという変な法則。
厳密に言うと、分配面から見た、国民所得については、固定資本減耗が含まれておらず、また、間接税分が多く、補助金分が少なくなるなど総額が少ない。教科書の例を参照。

3. 経済計画について
(1) 経済計画の目的
経済計画は、旧社会主義国などの計画経済とは関係がない。つまり、どういう分野にどのくらいの資源を投入するかといった計画を示すものではなく、市場のメカニズムを最大限に発揮させることを目的に作成されている。具体的には、計画期間内の成長率や、物価上昇率などを示すことによって国民や企業に、計画期間内の経済活動の目安を示すことを目的にしている。また、別の目的としては、ともすればバラバラになりがちな各省庁の政策に曲がりなりにも統一性を与えることを目的としている。(この経済計画の下に、各省庁による公共投資関連の5か年計画などが存在する。)このため、その経済計画を作成した当時の内閣総理大臣の政策が反映される場合も多い。

(2)国民所得倍増計画(1960年策定)
池田勇人内閣時に作られた経済計画で、極めて有名。10年間で所得を倍にするという計画を立てた。(年率7.2%成長)当時は達成不可能といわれたが、実際には10年で2倍以上となった。(年率10.0%成長)

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景気を読む2  物価と市場経済1
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Last Updated 24 December 2002